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はたらくオザワマンズ
小沢恒夫

関東で竜巻発生!!

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 本日、茨城県つくば市の竜巻発生により被災された方に

対し心よりお見舞い申し上げます。

50名以上の死傷者が出たほどの大きな竜巻!!

誰もこの惨劇を予想できなかったでしょう・・・

 実は、私たちの地元茂原市でも1990年12月11日午後5時に

戦後最大と言われる竜巻が発生しました。
茂原竜巻1

当時僕は、建築士の資格取得のため都賀の日建学院に通っていました。

授業終了後、車で帰る途中の大網から、信号機が停電となり

茂原に近づくにつれ嫌な予感が増してきました。

 家に着くと同時に電話が鳴り、当時消防団に所属していた僕は、

被害現場へと徴集されました。

まだ状況が把握できていない僕は「被害現場?」・・・・

集合場所は茂原市高師のボウリング場駐車場でした。

高師の交差点から北へと続く光景は

まるで映画で見るような悲惨な光景でした。

電信柱は折れ、道路には回転した車が・・・・

 竜巻の恐ろしさとその強さを今でもよく覚えています!

当時の新聞記事より内容を抜粋しました↓

1990年12月11日午後5時~8時に、
千葉県の数か所で竜巻によると思われる強風被害が発生した。
午後7時13分ごろに大粒の雨と、雹(ひょう)
強風と雷鳴の中「ゴー」という音がして、家全体が小刻みに揺れた。

被害は重傷6人(うち1人後日死亡)、負傷者73名、全壊82戸、半壊161戸、一部損壊1,504戸、
多数の電柱が折損し、約14,600戸で停電、電話不通1000などであった。
被害は東西1キロメートル、南北3.5キロメートルの範囲に集中している。

竜巻は、北北東へ向かって約16m/s 程度の速度で移動した。
構造物の被害からの推定した最大風速の下限値は78m/s であった。
被害の範囲は茂原市の高師、萩原町、上林、小林地区などを含む東西に平均で500~600M、
南北に約6.5kmの範囲であった。
被害を受けた建物の多くは木造であったが、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の建物も被害を受けた。
鉄筋コンクリート造の病院も被災し、窓ガラスのほとんどが破損した。
この病院の内部を強風が吹き抜けたため、大量の飛散物が建物内に侵入して、病室では入院患者等が負傷した。

その他では、大型ダンプカー、マイクロバスや多数の乗用車が転倒、飛散する等の被害を受けた。
被災した建物からは、屋根板、瓦、外壁や看板などが剥離、飛散した。
これらの飛散物は、他の建物の外壁や屋根に刺さる、穴をあけるなどの被害を与えた。
また他の建物の窓ガラスを破壊し、割れた窓ガラスの破片と共に室内に侵入して、居住者を負傷させた。
室内に侵入した強風は屋根を飛散させる要因となり、飛散した屋根の部材は飛散物となり、再び他の建物を破壊した。
竜巻のスケールについてはシカゴ大学の故藤田教授の提案された、Fスケールが定着しておりF3であったと推定されている。
F3は秒速70―92メートル(約5秒間の平均風速)、壁が押し倒されて住家が倒壊する。
非住家はバラバラになって飛散し、鉄骨づくりでもつぶれる。汽車は転覆し、自動車が持ち上げられて飛ばされる。
森林の大木でも、大半折れるか倒れるかし、また引き抜かれることもある。

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株式会社 小沢工務店

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